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漫画家マンガを読め!

マンガの中でも特殊なジャンルを確立しつつある漫画家、漫画家周辺(書店や編集、小説家、作家・画家)を扱った漫画を語っていきます。

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2017年 10月 19日|comment(-)

含羞 ~わが友中原中也 曽根 富美子

含羞(はじらひ) 1―我が友中原中也 (モーニングKC)
含羞(はじらひ) 1―我が友中原中也 (モーニングKC)

中原中也と小林秀雄の魂のぶつかりあい、才能というもの、詩人というもの、わかりあい、わかりえない他人、手の届かないもの、愛して憎んで空回りして、泣いてののしって笑って許してそれでもまだ憎んで。

ものを生み出す人間たちの心のすべてがここにある。
私が一番好きな作家に関するマンガ。

心をわしづかみにされるから繊細な人は注意!

この作品は一人の女性を巡っての小林秀雄と中原中也の愛憎、と紹介する旨もあるが、その女性はなんというか、道具である。
小林秀雄が中原中也に関わるために接近し、奪い、そして捨て去った、ある意味、小林秀夫のエゴに使い捨てられた存在だった。
実在のその女性が本当はどういう位置にいたのかはわからないが、曽根登美子はそんなふうに描いた。
ではいったい小林秀雄は中原中也とどう関わりたかったのか?

物語では突然遊びにきた(名前しかしらなかった)中原中也に、小林秀雄は初対面で自分の作品(小説)を批判され、揺さぶられ、中原中也の勝手な主張に衝撃を受け、ズタボロになってしまうのだ。

「自分の不安定な生活と精神をネチネチネチネチと。
お前の情けない自意識が日常生活の中でぽやぽやと浮いてるだけじゃねえか。
まわりの人間や世間を気にして結局行き場が見当たらない!」

「お前の自己認識てやつぁ、世間様へのタテマエだよ。
道を外せない自分へのいいわけさ。
お前は立派な生活者だよ、健全なる常識者様さっ。
おまえのゴタクうぃ聞いているとヘドが出らあ。
言い表しがたいこの命の衝動をおまえが書けるものか」

「おまえは書くことによっておまえ自信が言葉の媒体になっているのにすぎないのさ!」

反論しても叩き伏せられる、何も言えなくなる小林を前に中原は笑う。
中原は小林が言うように「あまりにも早く物事の本質を突きすぎる」がゆえに誰をも傷つけずにはいられない。

「俺は中原に強姦されたようなものだ」

小林の述懐がその衝撃を語っている。
小林は中原から自分を取り戻そうとした。それがこの漫画の大部分を占める。

奪われた理性、詩心、感性、誇り、意志、きょうじ、創作への無垢な喜び……
小林はあるときは中原を弁護し、助け、保護者となり、またあるときは、無視し、冷たくし、邪険にし、追い払う。
そしてまた追いかけ、すがりつき、乞い、中原を手中におさめんとし、失敗し、手を離し、うつむいて後をつける。
小林は自分がなにをやっているのかわからない。帝大を出て評論家として世間に名の通った小林が、中原の前ではどうしようもない「自殺したタコ」のようになってしまう。
恋にもにているが、断じて違う。

中原が慕った詩人・富永の死を前に、自分の力の及ばないものに怯える中原に小林は口づける。だが小林はその接吻の、肉の感触から逃げるように、中原の愛人のヤス子を奪う。

小林は何度も何度も中原の前で膝をつく。越えられない、勝てないと思う。
決して勝てない相手ならば征服されたい、支配されたいと願う。
小林は自分より小柄で華奢な中原に抱かれたいとすら思う。
抱かれてしまえば、受け身であれば中原を越えなくてもいいからだ。
だが中原はそんな甘い男ではない。
そんな小林の思いさえ見抜き、突き放す。

小林が文を書く人間ではなかったなら、あるいは恋にもなったかもしれない。
しかし小林も中原も文に、言葉に、魂と命を捧げてしまった人間だった。
二人の書くものは全く違うが、どちらも魂と命を削って言葉を生み出す生き物だった。
反吐がでそうなくらい高いプライトを持つ二人が、自分以外の相手を認めるわけがない。
かたくななまでの「我」、ゆるがない「言葉」。

結局小林は小説家としての道をあきらめ、批評家になる。中原が言ったように。
小林はいったいどうして中原の詩に感じてしまったのだろう? なぜ立ち向かおうとするのだろう?
誰もが一度は小林秀雄の評論を試験用紙で読んだことがあると思う。本質を平易な言葉で私たちの前にとりだしてみせる小林が、なぜ、中原の前では言葉に意味をもたせることすらできなくなるのか。なぜ小林の言葉が中原を救えないのか。

この作品を読み、小林秀雄という人物が中原に対しどのような複雑な感情を持っていたか、読み解いてほしい。
小林の追体験をして、中原中也という人間に振り回されてみてほしい。
それはきっと小林が感じたのと同じような、奇妙な幸福巻をともなった目眩にもにているから。

上記の本はAMAZONでも中古でしかありません。
漫画が手に入らなければ直接小林に語ってもらうこともできます。


現代の随想 5 小林秀雄集
現代の随想 5 小林秀雄集

この本に「中原中也の思い出」という文章があるそうです。
ほかにも中原が死んだときの死や中原に宛てた手紙(これがまた恋文のような)なども小林の全集にはいっています。小林秀雄の本は図書館で読めますので、探してみてください。

「中原中也の思い出」から抜粋。
小林秀雄の端正な日本語をどうぞ。





晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。

花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。

樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。

あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひたらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。

驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。

花びらの運動は果てしなく、見入っていると切りがなく、私は急に嫌な気持ちになって来た。

我慢が出来なくなってきた。

その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上がり、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。

「お前は、相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。

彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。
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