永井豪もけっして絵が上手い作家というわけではない。顔は崩れるし体型も変だ。しかし永井豪にしか描けない世界がある。そして影響力がある。
永井豪が時代を振り返りつつ、当時描けなかった分まで好き勝手に描いたデビルマン史。
「アオイホノオ」永井豪版というか、永井激という漫画家が自分の半生を語るんだけど、描いている作品は「ハレンチ学園」に「デビルマン」。なんで名前を変更する必要があるのか、と。
しかも主人公はハンサムに描かれている(表紙の中心にいるのが「永井檄」)。往年のファンにはひややっこ先生の方がなれ親しんでいるんだけど、「アオイホノオ」も小林まことの「マガジン」も、主人公はシリアスなハンサムに描かれている。
まあ、アオイホノオにしてもマガジンにしてもシリアスなシーンがあるのでそこでギャグタッチの顔にするわけにはいかないってことなんだろうけど、永井激はハンサムすぎる。
島本和彦のようにギャグをいれるわけでなく、まじめに当時の漫画に対する思い入れを描いている。
この漫画の特徴は漫画内漫画というのか、デビルマンが今の永井豪の絵で描かれて挿入されていることだ。
デビルマンを読んだことのない読者、たとえば相方ちゃんはこうしたぶつ切りの挿入でも「おもしろい」と言っていた。
永井豪の本当の目的はこれなんじゃないか? 半生を語りながらデビルマンをもう一度書き起こして新しい読者を獲得するというか(笑)。
まあデビルマンは誰にでも読んでほしい名作だからそれはそれでかまわないのだが。
しかしそれにしてもこの作品を読むと永井豪という作家がいかに不思議な漫画家かわかる。
永井豪はネームを割らない、直前まで頭の中になにもない。
漠然と悪魔対人間という構図だけを抱いてぶっつけ本番で描いているのだ。
最初殺すつもりだったわき役の涼が、最後まで明にかかわってくるなんて───描きはじめた当初は思っていなかったらしい。それでちゃんとオチをつけるんだからすごい。
───たしかに連載当初、読んでいて「あれ? あの話はいつ説明されるの?」というようなところもあったが。
この「激マン」という作品は、一人の作家の偉大な物語ができあがるまでの話を、そのまま物語にした───もしかしたらまたぶっつけ本番で思いつくままに描いているのかもしれないが───いわば小宇宙ができあがるまでの物語なのだ。

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